いのちに合掌 日蓮宗
日蓮宗では、毎月、日蓮宗新聞に付録する形で、境内の掲示板等に張り出すことのできる「日蓮大聖人ご遺文の聖語ポスター」を全寺院に配布しています。
当山では山門入ってすぐの掲示板に張り出しております。
改めて当山のホームページにてもご紹介申し上げ、日蓮大聖人の御心に触れて頂きたいと思います。宗教家とか宗祖とか言われますと、堅苦しくて怖いイメージが多分にあるのではないかと思われていると思いますが、実は、日蓮大聖人には、宗教家としての御自覚から生じる強さのほかに、人並外れたやさしさ・人情味の深さがあります。
日蓮宗からは「日蓮大聖人ご遺文の聖語ポスター」は毎月送られてきますから、出来得る限り、毎月ご紹介して、日蓮大聖人のやさしさ・人間力に触れて頂きたいと願っております。
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R061101
れでは令和6年11月1日号から
おのずから
よこしまに
降る雨は
あらじ
<「今月の聖語」解説>
=生まれつきの悪人はいない=
横殴りの雨が激しく窓を打ち付けると、うるさかったり、不安を覚えます。
雨は本来まっすぐに下に落ちるはずが、風というきっかけ(縁)をえて、窓を打つのです。
人間も同じです。
生活苦などが原因で罪を犯す人。欲に目がくらんで誰かを騙す人や冷静な判断が出来なくなった人。言葉などで誰かを傷つける人。本来まっすぐなはずの人間ですが、環境によってねじまげられ、自分を裏切り、だれかを苦しめたりします。
すべての人は悪意を持たず、まっすぐな心で誕生してきました。
「いのち」を授かった原点に返り、誰もが本来の自分らしく幸せに生きられるように、善が連鎖する世の中を築いていきましょう。
その起点となるのが、すべての存在に感謝と敬いの心を示す「いのちに合掌」なのです。
◎日蓮大聖人ご遺文『三澤御房御返事』
日蓮大聖人身延ご入山の翌年、駿河の三澤房に宛てた手紙。わずか数行の文章ですが、たくさんの信徒が佐渡から日蓮大聖人を訪ね、お釈迦さまの大事な教えを聴聞している様子が伺えます。
文永12年(1275) 聖寿5
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それでは令和6年10月1日号から
ただ一念の
信ありて
<「今月の聖語」解説>
=まずは自分を信じる=
「自分を信じてあげられないことは夢を失うより悲しい」
というような詞を、ある女性歌手が歌っていました。
お釈迦様の弟子のひとり・周梨般特(しゅりはんどく)は物覚えが悪く、ほかの弟子たちにいつもからかわれていました。
自信をなくし修行をやめようと思った時に、お釈迦さまから「自分の愚かさを知っているのはとても大切なことだよ」と諭され、一本の箒を渡されました。
やがてその箒で励んだ掃除を通して悟りを得ることが出来たのです。
これは周梨般特(しゅりはんどく)が、自分の可能性を信じ諦めずに修行を続けたからにほかなりません。
なかなか結果が出ないと、人は自信を失います。
自分を信じると書いて「自信」。
何をなすにも人間の原動力となるのはこの「自信」です。
自分を信じて小さな積み重ねから始めてみましょう。
◎日蓮大聖人ご遺文『法華題目鈔』
安房国(あわのくに)(現在の千葉県鴨川市)清澄で著され、女性信徒に宛てた書と言われています。信じることの大切さを通して、生きていくうえで、なにが一番重要な教えかが説かれています。
文永3年(1266) 聖寿45
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それでは令和6年6月1日号から
檀那は 油の如く
行者は 灯火の如し
<「今月の聖語」解説>
=支え合い=
子どもたちの食事や食育を支援する「子供食堂」を始めるお寺が増えてきました。
「子供食堂」はさまざまな人によって支えられています。
食事を作る人がいても、食材や資金を提供する人がいなければ成り立ちません。
仏教語の檀那は「布施をする人」、行者は「仏道を修行する人」を意味します。
「子供食堂」に例えれば「檀那」は「食材や資金を提供してくれる人」で応援者、
「食事を作る人」は「行者」で実行者とも言えます。
世の中を見渡せば、このようにどんなことも支え合って成り立っているのがわかります。
私たちは時には「檀那」となり誰かを応援し、時には「行者」となり直接誰かを支えるのです。
またある時は「檀那」に応援され、「行者」に支えられるのです。
よき檀那・行者として安穏な世の中を築いていきましょう。
◎日蓮大聖人ご遺文『曾谷殿御返事』
檀越の曾谷教信に宛てたお手紙です。日蓮大聖人は御供養の品を頂くと必ずお礼状をしたため、たとえ話や説話を交えて佛様の一番大切な教えが何であるか説いています。
弘安2年(1279) 聖寿58
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それでは令和6年5月1日号から
この病は
佛の
御はからい
<「今月の聖語」解説>
=病から教えられること=
イギリスのキャサリン妃が癌であることを公表し、ビデオメッセージを公開しました。
「どんな形であれ、この病気に直面している皆さんは、どうか希望を失わないでください。あなたは一人ではありません。」と癌で苦しむ世界中の人々に温かいメッセージをとどけました。
仏教では病気を逃れられない「苦」の一つとします。
一方で病気は私たちに沢山の気づきを与えてくれます。
看病をしてもらえば、人と人との繋がりのありがたさを知ることでしょう。
「いのち」の尊さやこのさきの「いのち」の使い道を考える時間になるかもしれません。
私たちはいつ病になるかわかりません。
生きていることが当たり前ではなく、生きていること自体が奇跡で、たいへんにありがたいことなのです。
普段から「いのち」をみつめて心を整え、病になれば病からまた学び、実りある人生にしていきましょう。
◎日蓮大聖人御遺文『妙心尼御前御返事』
夫を看病中の女性に宛てたお手紙です。病に対する心構え、死への安心を心優しく示されています。
建治元年(1275) 聖寿54
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それでは令和6年4月1日号から
人身は
持ちがたし
草の上の露
<「今月の聖語」解説>
=心が肝心=
ハダカネズミは老化現象が見られない、不思議な生き物です。
これこそ多くの人が望む「不老長寿」?かと思いますが、老化しないだけで、やがて寿命やケガで死んでしまいます。
彼らの身も、私たちと同じで「草の上の朝露のように持ちがたし」なのです。
私たちは健康管理に努め、検査や人間ドックなどに通い「いのち」を長らえようとします。
でも肝心なのは、「人身(身体)」とその使い方を左右する「心の在り方」がセットであるということです。
憎しみ奪い合うか、それとも敬い譲り合うかで、世の中は全く違ってきてしまいます。でもわかっていても自分だけの利益を考えてしまう。やられたら仕返しをする。心の在り方次第で、些細なことが大きな争いになったりもします。
まず自分自身が敬う心を持った人身を目指しましょう。
◎日蓮大聖人御遺文『四条金吾殿御書』
法華経・日蓮大聖人の教えを熱心に信仰する四条金吾に宛てたお手紙。人間社会の中で、組織の中で、どのような心構えで行動したらよいかを崇峻天皇の故事をあげ、細やかに指南しています。
建治3年(1277) 聖寿56
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R060201
それでは令和6年2月1日号から
総じて
餓鬼にをいて
三十六種類
相わかれて候
<「今月の聖語」解説>
=施しの気持ち=
美味しいケーキ屋さんを教えてもらいました。しっとりとしたスポンジにまろやかな生クリーム、甘いイチゴ・・・。
こんな美味しいお店を教えてくれてありがとうという気持ちと,このお店は自分だけの秘密にして誰にも教えたくない、という気持ちになりました。
「誰にも教えたくない」という気持ちは、自分だけがいい思いをしたいという「物惜しみ」の気持ち。これが「餓鬼」の心です。
人の心の中には36種類もの餓鬼がいると言われています。
お風呂のお湯を自分だけにかき集めようとするとお湯は逃げていきますが、向こうへ押すと跳ね返って自分の方へはね返ってきます。
自分だけの幸せを考えると逆に逃げていきます。
友人が美味しいケーキ屋さんを私に教えてくれたように、日常生活の些細な喜びから周りの人にお分けしていきましょう。
◎日蓮大聖人御遺文『四条金吾殿御書』
法華経の教えを尊び日蓮大聖人を支援する信徒の四条金吾に宛てたお手紙です。
誰かに施す気持ちを持つことがいかに人生を豊かにするかが説かれています。
文永8年(1271) 聖寿50
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R051201
それでは令和5年12月1日号から
弟子の
知らぬことを
教たるが師
<解説>
=師を求めよう=
人生という道に迷った時に頼りになるのが、道しるべを示してくれる「師」の存在です。
SNSなどで情報があふれ、現代人は何が本当なのか困惑してしまいがちです。
経済的利益のみを追求し、時間に追われる人。
人間関係に疲れ、生きる喜び・やりがい・目標をうしなってしまったひ人。
私たちはみな苦しみや悩みを抱えて生きています。
人生に疲れ切って動けなくなる前に、周りの人に道を尋ねましょう。
相談したり、助けを求めましょう。
その人は年上の人であるとは限りません。
あなたより若い人かもしれません。
凝り固まった先入観を打ち破り、あなたの知らない考え方や進むべき方向を示してくれる人が「師」です。
「師」とは人生観を共有する友でもある可能性もあります。
人生は成長の旅。
善き「師」との出会いがきっとあなたの人生を豊かにします。
◎日蓮大聖人御遺文『開目抄』
遠流の身となった日蓮大聖人が、佐渡の地で著わした書です。
自身の信仰を問い、法華経の行者を自覚された経緯が書かれています。
本当の「師」とはどういうものかが示されています。
文永9年(1272) 聖寿51
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R051002
それでは令和5年11月1日号から
師子王は
百獣に
怖じず
<解説>
=怖れない心=
「大丈夫❢自分が今までやってきたことを信じて頑張れ❢みんながついてるぞ❢」
物事に取り組む時、不安に駆られ、ひるんでしまった経験は、誰にでもあることでしょう。私にも学生時代、試合に臨む時にコーチにそう励まされて、おじけづいた心を奮い立たせたことがありました。
自分の力が信じられなくなったり、自分には味方がいないのだと思い込んでしまうと、人はどんどん弱気になってしまいます。でも人生には勇気をもって突き進んでいかなくてはならない場面がたくさんあります。そんな時は自分を信じてみましょう。不思議と目に見えない力が働くことがあります。
不信感や孤独感に陥ることなく、百獣の王・ライオンのような、いざという時に怖れない心・ひるまない心を養っていきましょう。
◎日蓮大聖人ご遺文『聖人御難事』
日蓮大聖人が身延の地から遠く離れた弟子や信徒に対して贈られたたくさんのお手紙の一つです。人々を思いやり、苦難に遭遇したときの気の持ち方が説かれています。
弘安2年(1279) 聖寿58
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R051002
それでは5年10月1日号から
生死を離るる
身とならんと
思いて候
<解説>
=人生の目的=
「生まれて来なければよかった・・・」。
「どうせ死ぬのに何で生きなきゃならないんだろう?」。
生きていくということは大変です。
時に私たちは生きる目的を見失います。
そんな時どうしたらいいのでしょうか?。
悩んでいるのはあなただけではありません。深呼吸をして、空を見上げましょう。
自然に身をゆだね草花のいのちを感じ、虫の声に耳を傾けましょう。
気持ちが楽になる人に会いに行きましょう。
みんな精一杯生きています。
生きる力が湧いてくるのをゆっくり待ちましょう。
生死の悩みは永遠の課題です。
お釈迦さまは「いのち」を三世(過去・現在・未来)に生きる永遠のものとします。
人の行動や言葉は誰かとの「つながり(縁)」となって永遠にあなたの「いのち」として生きることになるのです。
私たちは素晴らしいことで悩んでいるのです。
今日も素晴らしい一日を行き来りましょう❢
日蓮大聖人御遺文『妙法比丘尼御返事』
このお手紙だけではなく、日蓮大聖人は人生のいろいろな局面に応じてこまめに便りをしたためて、悩みを抱えた人を勇気づけてきました。
弘安元年(1278) 聖寿57
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R050705
それでは令和5年7月1日号から
亀鏡なければ
我が面をみず
亀鏡とはお手本のこと
<解説>
=人間関係=
あ~、なんだか仕事行きたくないなあ~、学校行きたくないなあ~、苦手なあの人の顔見たくないなあ~。そんな思いを抱くことは誰でもあります。
できればイヤな人、苦手な人からは距離をおきたいですよね。
でも人間はお互いかかわり合って生きる生き物なので、「お一人さま」「ぼっち」といわれる「孤独感」が一番心身に良くないのです。
ですので、こう考えてみてはどうですか?
自分と接する人はみんな自分自身を写してくれる鏡、時にはあなた自身の不得手な部分を写しだしてくれることもあるのだと。
いろんな人と接することで「違う自分」「自分の長所・短所」などの再発見につながります。
もしかすると自分が苦手としているその人は、大事なことを教えてくれているのかもしれません。
あなたの周りにいる人は、良くも悪くもお手本を示していてくれる人なのです。
日蓮大聖人御遺文『開目抄』
流罪となった佐渡で著わされまた。自身の在り方を問い、どう生きるべきかの覚悟が示されています。私たちが今をどう生きたらいいのか。そのヒントが詰まっています。
文永9年(1272) 聖寿51
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R050602
それでは令和5年6月1日号から
各々
思い切り
給え
<解説>
=思い切りよく=
朝起きたらまず何をしますか?
歯を磨きますか? 顔を洗いますか?
こんな日常の些細なことでもその都度決断しています。
ケンブリッジ大学での研究によると私たちは1日に3万5千回も決断をしているそうです。
人生はさまざまな決断の連続なのです。
思い切りよく決断できるにこしたことはありません。
でも迷いが生じて、煮え切らないこともあります。
気持ちの整理がつかず混乱し、時にはやる気や元気を失ったりします。
そんな時、あなた自身と周囲の皆がワクワク笑顔になれるかどうかを判断基準にしてみませんか?
それでもダメだったら、やっぱりこちらも思い切りよく、時期を待つという決断をしてみましょう。
悩み迷うことは自分が成長しようとしている証拠です。
思いきれる時は必ず来ますよ。
日蓮大聖人御遺文『種種御振舞御書』
何事も勇気と自信をもって行動することが大切だと示された、激励のメッセージと言える箇所からの抜粋です。
迷っている人の背中をそっと押してくれる心遣いが伝わってきます。
建治元年(1275) 聖寿54
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R050508
それでは令和5年5月1日号から
八のかぜに
おかされぬを
賢人と申すなり
<解説>
=しなやかな心で=
褒められれば有頂天になり、文句をいわれれば怒り、ときにはへこんだり・・・。
何かとストレスがたまる現代社会です。
私たちの身の回りには8つの風が吹いていると言われています。
喜んだり、しょげたり、傷つけられたリ、感謝されたり、尊敬されたり、陰口をたたかれたり、辛くなったり、楽しくなったり・・・。
良い風の日も嫌な風が吹く日もあるのが人生です。
生きていればいろいろなことがありますが、それを乗り越えていくのは、何事にも動じない頑強な心ばかりではありません。どうしようもない悩みや苦しみは一人で抱えず、お寺や公的機関、周りの人に相談してみるのも方法です。
木の枝は頑強なほど折れやすいのです。
どんな風とも仲良くできる枝垂桜のように、柳のように、しなやかにしなやかに生きていきましょう。
日蓮大聖人御遺文『四条金吾殿御返事』
思い通りにいかないとき、人としてどんな心構えで暮らしていけば良いかを伝えています。
人を怨まず穏やかな心を保つことが大切だと諭しながら、事態の好転が祈られています。
建治3年(1277) 聖寿56
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R050401
それでは令和5年4月1日号から
この土は
本土なり
<解説>
=自分には見える花を=
草はU字溝のわずかなすき間からも元気に芽を出します。
この草にとって生きる場所はこの隙間で、場所を移すわけにはいきません。
まさにこの場所で一所懸命に生きているのです。
でも人間の場合は、どうしようもなく辛かったら、逃げたっていいんです。
一つの場所で生きることを「一所懸命」といい、それも一つの生き方ですが、何が何でもそこで頑張らなくてもいいんです。
今生きているこの広い世界こそ私たちが幸せになれる場所だからです。
取り巻く環境によってはうまくいかなかったり、思い通りにいかないこともあるでしょう。それを乗り越えてその場所で再起を目指す人もいます。
どちらもおなじです。
人間は生きるだけで十分頑張っているのですから。
それぞれの生きる場所で、他人には見えなくても自分には見える花を咲かせてください。
日蓮大聖人御遺文『開目抄』
私たちが生活する「今」を救う方法を、みんなに理解してもらおうと書かれた一書です。
生きているこの世界こそが、人間が真の幸せを得られる場所だと示されています。
文永9年(1272) 聖寿51
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R50202
それでは令和5年2月1日号から
この生を
空しうする
ことなかれ
<解説>
=誰かのために=
みんなそれぞれの立場で懸命に生きています。
健康な人であれ、病気の人であれ、本当にそう思います。
善をなして悪をなさない人はなおさらです。
仕事や家事、育児、介護、勉強、鍛錬・・・。
すべて誰かのために成ろうとする善です。
反対に悪とは故意に誰かに迷惑をかけること、また人や生き物などの心身を傷つけることです。それは自分の「生」の価値を下げます。
そんなことをしなくても個々に価値は十分にあります。
それが分かれば世の中はどんどん良くなっていくでしょう。
時には自分の存在を空しく思うこともあるでしょう。
これを書いている私も同じです。
でもやっぱり今を生きていかなければなりません。
誰も傷つけず、逆に誰かを助けながら、ともに生きていきましょう。
日蓮大聖人御遺文『守護国家論』
日本が法華経と縁の深い国であることや、この世の中こそが浄土であると解き明かします。この現実社会、すなわち私たちの今生きている世界に価値があることを示したのです。
正元元年(1259) 聖寿38歳
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R050101
それでは令和5年1月1日号から
春のはじめの
御悦びは
月のみつるがごとく
<解説>
=喜びあふれる1年に=
新春を迎えるとき、多くの人が一斉に新たな心持でスタートを切ります。
人間は個性はあっても差はありません。
新春は、それぞれがそれぞれの目標に向かって、それぞれの道を歩みだす節目にさせてくれます。
何かが始まるときは挨拶で「今日の佳き日に」や「おめでたい日を迎え」と言います。
大変なこと、辛いこと、嬉しいこと、悲しいこと。これからいろいろなことが起こるのに、「おめでたい」といいます。
たとえ、すぐに受け入れられない出来事が起きても、それでもやがて受け入れながら道を踏み締め、また歩むことが出来る始まりや節目なのでしょう。
皆さんへ春の初めの御悦びを捧げます。
あなたを含め、世界の人たちが喜び溢れながら人生を歩めるように、今日も私たちは真夢妙法蓮華経を唱えています。
これが日蓮宗の願いだからです。
日蓮大聖人御遺文『四条金吾殿御返事』
最晩年の日蓮大聖人が信徒へ宛てた「春の初めの御悦び」と希望溢れる明るいメッセージではじまる正月のお手紙です。このように日蓮大聖人はいつも多くの人に寄り添い続けていました。
弘安5年(1282) 聖寿61歳
ホームページ日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R41207
それでは令和4年12月1日号から
佛を良医と号し
法を良薬に譬へ
衆生を病人に譬ふ
日蓮大聖人ご遺文 『聖愚問答鈔』
<解説>
=3つの薬と大きな願い=
大切な人を失った悲しみや、苦しみの心の病を治すための薬は主に3つあります。
2つは「泣き薬」と「時薬」です。
涙が枯れるくらい泣いたり、時間の経過で気持ちが落ち着き、少し前を向くことが出来る場合があります。
3つ目は「偲び薬」で、「供養する」ことです。
これは故人のために花や好きだったものを供えるなど、何かすることで自分の心も癒していくことです。
この3つでの一番の良薬は何かしてあげられているという喜びに変わる可能性がある「偲び薬」かもしれません。
さて掲げた3行は私たちを病人に譬えた場合、佛様(釈尊)は良い医者であり、仏法(法華経)は良い薬であるため、私たちを救ってくださる、という意味です。
全ての人を救おうとされる佛様の大きな願いの中に生かされている私たち。
あなたの大切な人を思う願いは、佛様の願いでもあるのです。
日蓮大聖人御遺文『聖愚問答鈔』
上下2巻からなる書ですが、御真筆は確認されていません。
世間の無常を嘆く人たちが聖者に導かれて心の平安を得るという設定で論が展開されます。
文応2年(1265) 聖寿44歳
ホームページ日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R41102
それでは令和4年11月1日号から
蒼蠅
驥尾に附して
万里を渡り
<解説>
=豊かな人生の為に=
蒼蠅とは青バエのこと。驥尾とは1日千里を走る駿馬の尾のことです。
小さな羽虫でも良馬の尻尾につかまっていれば、考えられないような距離を進むことが出来ます。
つまりどんな人でも、進むべき道を示してくれる師匠が立派なら、自ずとその域に地数いていけるということです。
哲学卓越せる者の森信三氏は、「人はすべからく、修正の師を持つべし。真に卓越せる師をもつ人は、終生道を求めて歩き続ける。その状あたかも、北斗七星を望んで就航する船の如し」と、人生の道筋を示してくれる善き師との巡り合いを重視しています。
善き師とは、人だけではありません。自分自身が見聞きするものすべてです。
それらに生涯教えを請うことで、知らず知らずのうちに、人生が豊かなものになっていくでしょう。
日蓮大聖人ご遺文 『立正安国論』
日蓮大聖人が鎌倉幕府へ奏進したもので、正しい教えを立てて、国家を安らかにするという祈りの書です。自身を蒼蠅に例え、驥尾を法華経と位置づけ、思いをつづった個所です。
文応元年(1260) 聖寿39歳
ホームページ日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R40802
それでは令和4年8月1日号から
日蓮が色心 佛になりしかば
父母の身も また佛になりぬ
<解説>
=親子のつながり=
もし、あなたがすでにご両親を亡くされていたならば、亡きご両親の幸せとは何かを考えてみてください。供養してあげること? たくさん思い出してあげること? ずっと忘れずにいること?
どれも間違っていません。でもちょっと見方を変えてみましょう。生きていた時の両親の目線で。
あなたが笑っていた時や嬉しかった時、きっと同じ気持ちだったでしょう。「我が心身は親が残した体」。つまりあなたなのです。親子心身の繋がりは、たとえ時や場所が違っていても切れるものではありません。あなたの心がけが、そのまま亡き両親に伝わります。
今月はお盆。亡くなっていても、健在でも両親が喜ばれるよう、自身の行いや思いを問い直してみる時なのかもしれません。
日蓮大聖人ご遺文 『盂蘭盆御書』
本抄は、日蓮大聖人がお弟子の日位上人の祖母に宛てたお手紙で、お盆のいわれを分かりやすく説いた書簡です。供養品の返礼であるとともに、盂蘭盆の意味についての問いに、礼状に添えてその由来を書き送ったものです。授与者の名にちなみ『与治部房祖母書』という異称もあります。
弘安三年(1280) 聖寿59歳
ホームページ日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R40604
それでは令和4年6月1日号から
何ぞ煩わしく
他の処を
求めんや
<解説>
=失敗は貴重な宝もの=
誰でもしくじることはあるものです。
ごめんなさいですむものならその画で解決できます。
でも、長い人生においては、簡単に一件落着とはいかず、落ち込んでしまうこともあります。
そんな時、あなたはどうしますか。
思い出したくもない。さっさと忘れてすっきりしたい。
それも悪くないでしょう。ただそれでは真の解決にはなりません。現実から逃避しても一時しのぎにしかなりません。
それよりも貴重な体験と見てはどうでしょう。
失敗の原因を探り活かすことです。原因が分かれば失敗を繰り返さずに済む方策が見つかるでしょう。
自分一人で抱え込まず、時には同僚や先輩あるいは頼れる人に相談することも必要でしょう。そうすれば将来の自分、そして今後の人生をより良いものにできるはずです。
失敗は今ある自分の姿を見つめるチャンスなのです。
日蓮大聖人ご遺文 『守護国家論』
『立正安国論』とともに日蓮大聖人初期の代表的な著述で、末法の時代における衆生救済と国家の安泰は法華経の身にかぎられることを解き明かしています。
正元元年(1259) 聖寿38歳
ホームページ日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R40504
それでは令和4年5月1日号から
着ざれば 風身にしみ
食ざれば 命持がたし
〈解説〉
=共に生き、共に歩む=
自分のお金で食材を買い、自分一人で調理して盛り付け。「いただきます。」と掌を合わせたとき、「自分で作った食事なのに誰にいただきますしてるんだろう?」っと思ったことはありませんか?
私たちは一人では生きていけません。食事も衣服も、じぶんいがいの他の多くの人・多くのモノと互いに支え合って生きているのです。この「いただきます。」の習慣はそれらとの深い結びつき(縁)を受け止めるという「感謝」の言葉です。支え合っているのですから、こちらからの発信つまり他の為に尽くすという行為がなくては成り立ちません。それが回り巡って自分自身に還ってくる。つまり他の為に尽くすことが、そのまま自分を助けることになるのです。
自分一人の利に駆られて他を害するなど、結果的には自身を傷つけることになるのです。
日蓮大聖人ご遺文 『松野殿女房御返事』
種々の供養品を受けた松野氏女房への礼状。
前半に身延山の情景を記し、身延こそは霊鷲山であると述べ、法華信仰者のあなたには佛の御守護の手が差し伸べられていると結ばれている。
弘安2年(1279) 聖寿58歳
ホームページ日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R40402
それでは令和4年4月1日号から
けわしき山 あしき道
つえをつきぬれば たおれず
日蓮大聖人ご遺文 『弥源太殿御返事』
〈解説〉
=一人で抱え込まないで=
針に糸を通すのはなかなか大変です。針を固定して糸の先に穴を通していたら「糸を固定して針を動かす方がとおしやすいよ。」と、助言してくれる人がいました。
それ以来この方法で糸通しをしていましたが、細長い針金を使った糸通しの道具を見つけました。これは便利です。
糸通し一つにしても、やり方はいろいろあるものです。人生の様々な場面においても。解決策は1つではないと思います。自分一人では困難なことも、他の力を借りれば乗り越えられる方策が必ず見つかります。一人で抱え込まず、肩の力を抜いて、他に頼ることも時には大切なことではないでしょうか。
日蓮大聖人ご遺文『弥源太殿御返事』
日蓮大聖人の有能な外護者、北条弥源太入道に与えた書状です。
書中、日蓮大聖人は法華経を諸佛発心の杖とたとえられ、弥源太入道に「日蓮のことも杖や柱と思ってください」と呼びかけられます。
入道が日蓮大聖人に従って法華経を信じるようになったのは不思議の因縁であるとして、いよいよ信心強くしたならば霊山浄土の御佛のもとに導いていただけると諭されています。
文英11年(1274) 聖寿53歳
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R40302
それでは令和4年3月1日号から
佛くようの 功徳 莫大なり
日蓮大聖人ご遺文 『法華證明鈔』
〈解説〉
=功徳=
今月は春のお彼岸を迎えます。
皆様が「仏さま」と呼ばれるのはどなたですか?お釈迦様、阿弥陀様、薬師様・・・?
しかしその中でもご先祖様を「仏様」と呼んでいませんか。
実はこの思いは先祖供養に重きを置く日本人の宗教観の表れと言われています。
その「ご先祖様」があの世で安らかに過ごせるのは、ご本仏釈尊がご先祖様を見守り導いて下さっているからなのです。
皆さまがお彼岸でご先祖様を供養することはそのご本仏釈尊にも届いており、想像を遥かに超える大いなる功徳を積んでいることにもなるのです。
日蓮大聖人ご遺文 『法華證明鈔』
本鈔は日蓮大聖人に生涯深く帰依した南条時光氏に宛てられたものです。時期は日蓮大聖人が亡くなられる年の2月末でした。
ご自身重病の床にありながらも大病する時光氏に対し、日頃の堅固な信心を讃え、その功徳で必ずや病気は平癒すると励まされました。そのお言葉通り時光氏は見事全快し、その後90歳の長寿を全うしたのです。
弘安5年(1282) 聖寿61歳
ホームページ 日蓮宗新聞付録「聖語ポスター」R40201
それでは令和4年2月1日号から
浅きを去りて 深きに就くは 丈夫の心なり
日蓮大聖人ご遺文 『顕佛未来記』
<解説>
自らの価値観を顧みよ
「丈夫」とは一般的に強い、壊れにくいことを言います。
佛教では「正道をまい進し決して退転しない修行者」のことを指します。
さらに仏様を尊称して「調御丈夫(ジョウゴジョウブ)」と表現することがあります。この語は仏さまが一切の丈夫を教え導く師であることを意味しています。
師たる仏さまは弟子の丈夫たちにこのように説かれました。
「世間の価値観にとらわれてはならぬ。不変の真理を規範として歩め」と。
日蓮大聖人ご遺文『顕佛未来記(ケンブツミライキ)』
本書は日蓮大聖人自らが題号をつけられたお手紙で、短編ながら枢要な教えが説かれています。
日蓮大聖人は本書著述の前に最重要御書である『観心本尊鈔(カンジンホンゾンショウ)』を著わされ、ご自身の使命と弘めるべき教えを弟子信徒に顕示されました。この書にはその教えがより端的に説かれています。
書中、お題目の流布はすでに2000年前に釈尊が予言されていたこと。
さらに日蓮大聖人自身が釈尊から末法の世に法華経、お題目の布教を託された丈夫であるとの自覚とその誇りを述べておられるのです。
文英10年(1273)聖寿52歳